腹筋ローラーの動滑車実験と王の帰還

腹筋ローラーを2つ使うと、家庭で手軽に動滑車が作れるという知見を得た。

中学理科で懐かしの動滑車の実験。

朝から三男さまが腹筋ローラーを持ってきて「これでエレベーターを作りたいの!作って」とニャーニャー言い続け(たぶん動滑車のことだろう)と思ったけど「ウチにはローラーが一個しかないからできないなー」と誤魔化したらローラーを分解し始め(パーツを2つに分けようと)、根負けした私が実家に連れて行き同型の腹筋ローラーで拵えたもの。

意外だったのが、普段は孫が来ると2階に引っ込むおじじ(私の父)が熱心に動滑車の仕事量について息子にレクチャーしてくれたこと。

ずっと都内に単身赴任していて週末だけ帰ってくる父の存在は家庭内で空気だったけど、父とコミュニケーションをするには父の土俵に上がらなきゃいけなかったんだな、と思うなど。

なんとも感慨深い風景を見た。

 

(まぁ父のネグレクト・家庭放棄のおかげでワンオペ母が祟り神になり私たち三兄弟が母の呪詛に焼かれて今なおものごっつ生きづらい件についてはまた別の話だがな、とは思う。ばーかばーか、仕事ばかめ)


あとよく考えたらこれ比較のための定滑車をやってないから「半分の重さ」がわかりにくかったなと今更ながら。

そも「エレベーターが作りたい」と言った時点の三男さまの希望は動滑車ではなく定滑車だった可能性があるなと思い至った。

わりと相手の意図を汲むの間違えちゃうんだよな(飛躍しがち)
#コミュ障


追記・この件で父についてさっき(まぁ昔は家庭放棄だったよな仕事バカめ)等々書いたら今ものすごく胃に粘土の塊を押し込まれたみたいな不快感が湧いて戸惑っている。

そのことについて今書いていたら今度はこめかみがドクドク波打つのを感じた。引き続き胃は鉛のよう。ずどーんと重い吐き気。

この感情はなんなのかじんわりと味わう。

今参加している嫌われる勇気読書会が下巻の『幸せになる勇気』まで終わって、来月からはアドラーを離れて【フォーカシング】のテキストに移行するらしいのだけど、自分の身体反応から抑圧されたり言語化意識化されないままになっている「感情」を掘り下げていく実践的な内容になりそうとのこと。

自由に質問していいとのことなので、今回の父母のことを考えた時に出てくる痛みや不快感について、読書会で聞いてみようと思う。私の無意識はなにを伝えようとしているのか知りたいと思う。


いつか母からの呪いを解いて母を解放し、ずっと不在だった父とも出会いたいと思う。(王の帰還


胃液が逆流するようなこの感じ…

母のことを思うときの心臓をわし掴みにされるような胸の痛みとはまたちがう(そう思ったら今度は胸が痛くなってきた…そうコレ)

母は心筋、父は胃液。

この身体反応はなにを意味しているのか。心は私になにを伝えようとしているのか。

母はキリキリ、父の方はどんより。
なんだろうなぁ…

前にも子供時代の思い出がトラウマ的に噴出したことがあり、その時は「無理に思い出さず、キツかったらすぐやめる。また気が向いた時にあたたかいお茶やお風呂を用意して思い出して、その時の身体感覚(=感情)をじんわりと味わう。無理せず少しずつやってみること」とのアドバイスをもらっている。

今日はもう十分味わったから終わりにする。
(吐き気がなかなか去ってくれない)
あたたかいお茶を飲む。


#今日のお歌…【風花(かざはな)】風が強い日はあなたを思い出す……不器用で優しいあなたの声がするhttps://youtu.be/_1QU6mihBcs