ムコの人と世界のボルト

家庭の中の困ったが地域に出ていくと苦しむ無辜(ムコ)の人が出る


困ったを抱えると肩身が狭いね


家庭の中では24時間休みなく困っているよ


迷惑と自己責任


困ったが存在しない世界。社会

 

わかってるよ、わかってるけど。

けど

 

ザレムのはらわたを思い出す…

 

さて、今日も一日


#今日も一日っ

 

 

できるのは、自分のことだけ。


受け入れてもらうのではなく、自分が迷惑を「かけられる側の時に」相手を受け入れる


いいよ、いいよ
なんくるないさ


そうやって少しずつ社会をゆるくする

 

損をしているのじゃないよ、
ギチギチに固まった世界の
ボルトをゆるめているの

 

そこから世界が崩れるとしても

 

 

(この不穏な心の織物は、見ず知らずの認知症のお年寄りが昼夜に関わらず呼び鈴を鳴らすので警察に相談しても埒があかず地域包括センターを通じてお年寄りの住所を特定し家族に連絡したら、「事情は言えないけどもう大丈夫です」と。おそらくその方が入所施設に入ったのでは…?というお話を見かけてから紡がれ織られたものです。

その方は悪くない。ただ私は心がざわざわした。よっての不穏織物。ザレムは20世紀の傑作漫画『銃夢』から。人間とはなんなのか、を世に問うた名作ですので興味のある方はぜひ履修されたし。プリンが大好きになること間違いなしです。なお履修の際はグロ注意です←オタクの早口)

 

私だったら昼夜の呼び鈴に
どう対処しただろうか
この先も折りあるごとに考える
自分の覚悟のほどを


でもそれは許さなきゃならないとか
我慢しなきゃならないってことではない
心の置き所を探ってる


ずっと

 

締め切りを守らない外注先も
無賃労働をねじ込んでくる取引先も…な

 

もちろん全部飲むわけではない
落とし所を探る

 

大人だからダメなのでも子どもだから許されるべきも何もないのよ


事情がある
みんな事情があるよ


こちらの事情を許される世界を目指すから
あちらの事情も許す

 

こちらにとって切実な事情を汲んでほしいなら
向こうだってそうだろう


双方向に
ただそれだけ


ただただゆるめる
ボルトを

 

苦しいのはギチギチになったボルトだけど
ゆるめられるのはボルトの側じゃなく
レンチを握っている側だけなのだ

自分が苦しくない時に
自分が一時損をしてでも
ボルトをゆるめられるのか、という話


いつか息子のボルトをゆるめてくれるレンチを握る人にたどり着くために、私のゆるめられるボルトはゆるゆるにする、そうやって

 

自分の息子が生きていく隙間をこじ開ける

 

その先になにがあるのかなんて
私は知らない

 

私が人を許すのは優しいからではない
それは確かだと思う
ただ、自分の属する世界のバランスを取っている


バランスが崩れると
自分がキモチワルイから


幼児のように一方的に許されるのではなく
社会と対等になりたい
だから許す側に回りたい


子どもはいつか大人になる
大人はいつか子どもになる(戻る)


息子を迎え入れるオトナの社会が、私が老いていつか戻っていく子どもの社会が、少しでも生きやすい場所であれかしと切に願う