【『ど根性ガエルの娘』と心のゴミ問題】 

※あらすじのネタバレありです。


アダルトチルドレンというものを改めて考えた。


仕事に行き詰まった父ちゃんが母ちゃんを感情のゴミ箱にして。


父ちゃんは娘のお金を盗んでギャンブルにつぎこんで。


母ちゃんは弟は男の子だからお父さんが尊敬できなくなったらかわいそうだからと娘の言うことを全部嘘にして家族の前で嘘をついたことを土下座させて。


娘はついに壊れて摂食障害になり適応障害になり引きこもりになり。


母ちゃんは父ちゃんの借金を返すのにずっと働き詰めで、家族がうまくいかないのは全部アンタのせい、と娘を感情のゴミ箱にして。


(ここでオタ活でエネルギーを得て推しのコンサートに行きたいがためにアルバイトして引きこもりを終わらせた娘ちゃんすごい。推しは全てを救う)


結婚してやっと実家を出たら、夫も心に大きな傷がある人で。


娘(妻)は仕事でタチの悪い上司にトラウマをこじ開けられて、そのSOSを夫に求め。


夫は夫でそれによってトラウマが開き。


みんながみんなナイフで切りつけあってるような状況で。


娘は父のことを、夫婦のことを、家族のことを漫画にすることにする。



全7巻。6巻がいちばん色々と心に刺さって痛かった。



娘ちゃんは、小学校の頃から高校までずっと、自分のクラスが校舎の何階にあるかわからない。

当然クラスの場所もわからない。

もちろん教室の中の自分の座席の位置もわからない。


毎朝毎朝ドキドキしながら登校して勘で階と教室を探り当て、当てずっぽうに席に座る。

仲良しの子の名前も最後まで覚えられない。


これを読む限り、娘ちゃんは認知機能に生まれつきなんらかの凸凹があるよね…


なんのケアもされず。

変なやつだといじめられることも多かった。


冒頭の無料試し読みのところだけでも伝わる生きづらさ…読んでいて心臓が痛い。


https://booklive.jp/bviewer/s/?cid=406394_006&rurl=https%3A%2F%2Fbooklive.jp%2Fmy%2Fbook-shelf-kan%2Ftitle_id%2F406394



それを「オレもそうだった、同じ同じ」と軽く同意する出会った頃の夫さん。


ついに理解ある伴侶を得て、めでたしめでたし、とはならんのよな。


「同じ」ってことは夫さんも育ちの中で相当傷ついている。


【女性の不機嫌(不安)な顔】と「なんで?」がトリガーで夫さんは怒りのリミッターが外れて噴出する。「オレにはどうにもならないことなのにキミはオレを責めた」と暴れる。


これはおそらく原因は…と匂わせつつ

数々のカウンセリングと夫婦の衝突を経て

「私はあなたのお母さんではありません」

と娘ちゃんは夫さんとの間にようやく境界線を引く。



「私が受け入れなければ」とあらゆる理不尽とゴミの投棄を受け入れてきた娘ちゃんが、ようやく「自分はゴミ捨て場ではない」「あなたとはちがう意見と感情を持ったひとりの人間です」と母と夫に言えるようになった。(父には昔やられたことが「嫌だった」とだけ)



子育ては大変だ。

うまくいかない、間に合わない、人に迷惑をかける、将来の不安。

心にどんどんゴミが溜まる。


さて、そのゴミをどうするか。


どうしたら心のゴミは減らせるのか。



こないだうまくいかなかったとき。

失敗しちゃったとき。

とりあえず日記に書いた。

その時はゴミは消えた気がする。



ただ、これは長年駄文を書き散らしていて会得した個人的な感覚だけど、書き方によっては書いたことでますます嫌なことに心がフォーカスして怒りが沸いてさらに心のゴミが増えたりする。気をつけないと。


私の場合日記にネガティヴなことを書く時はちょっとしたコツがあって。


ガーって負の感情を出しても、最後は「よかった」と言って日記を締めること。


これってたぶん私がずっと無意識にやってるリフレーミングだと思う。


※ リフレーミング(reframing)とは、ある枠組み(フレーム)で捉えられている物事を枠組みをはずして、違う枠組みで見ることを指す。元々は家族療法の用語。西尾和美『リフレーム 一瞬で変化を起こすカウンセリングの技術』によると、「リフレームの目的は、今までの考えとは違った角度からアプローチしたり、視点を変えたり、焦点をずらしたり、解釈を変えたりと、誰もが潜在的に持っている能力を使って、意図的に自分や相手の生き方を健全なものにし、ポジティブなものにしていくこと」

出典・Wikipedia



怒りを抑え込むんじゃなく、分解して無効化すること。日記でダラダラ書きながら事実を捉え直すこと。


どうしても良い意味付け(リフレーム)が見つからなかったら「あーー言いたいことが思いっきり書けて、スッキリした」でもいい。


一回沈み込んで可能なら怒りも出して、悲しみの感情も味わって、感情の曲線はグニャグニャしつつも、日記の最後は上昇するような気持ちの良いカーブを描くように。


私の脳みそは単純にできているので、それで結構あっさり気持ちもスッキリ上向きになってしまう。(私だけかもしれないけれど)



身近な人(我が子や友人や日記を読んでくれる人)をいつもいつも心のゴミ箱にしないように。感情をぶつけないように。



せめて最後は気持ちの良いカーブを見せられるように。



そうやって、書いている。

ただ自分のために。



暴力に暴力以外の意味をくっつけないこと。

(それは自分が力を持ったときに「あなたのため」などの意味付けをされて他者に向かう)


他人をゴミ箱にしないこと。


大切な人と、大切な自分を、大切に扱うこと。


まちがえたら、何度でもやり直すこと。

まちがいの責任を、自分で背負うこと。


(それは必ずしも自分を責めることではない。要はまちがえたことで生じる不利益(信用の失墜、関係性の消失など)をそのまま受け止めるだけ。過度な自責自罰はむしろ事実から目を逸らし相手に許しを期待して責任逃れになる場合もある。)



書くことは救いだ。

この『ど根性ガエルの娘』を読んで、そんなようなことを、思った。



#今日のお歌…【ママは焦らず】完璧なんかじゃないんだよねぇ…子育てはいつだって空回り。

https://youtu.be/M-r1EK8J_ZM