【外にSOSを出すのがニガテな人の子育てと、そういう人が持つかりそめの処世術に敬意を示す視点】

【外にSOSを出すのがニガテな人の子育てと、そういう人が持つかりそめの処世術に敬意を示す視点】


以前「虐待は連鎖しない」の記事でハマったある心理士さん(心理師さんでもある)のブログ。今回もやはり心に響いた。


▪️ 愛着障害の人の厳しい子育てとはどのようなものか?|自責しつつ外へ助けを求めない
https://note.com/soleapsy/n/nebf546289b5c


Twitterやその他のSNS、テレビや現実社会で大きな顔をして声の大きい不心得者ばかりを次々と目にするせいか、ちゃんと心得のある、心ある支援職の人の、心に傷を負った人への「敬意」のありようを見ると救われる思いがする。


無意識の心の動き、とくに身を守るためにわざと見えなくしている部分(モビルスーツ=かりそめの処世術)は、周りから見ると一見すごく加害的でひどいことに思えたり、一歩踏み込んで「あぁこういうことじゃないかな」と背後関係に思いを馳せたりするけれど、まぁなんせご本人からは見えない。


ご本人からは見えない。(大事なことなので2度言う)


それが見えたら自分自身が崩れてしまう(とご本人は信じている)から、必死に目を逸らしている。心の防衛機制


それをそれごと認めてその方と向き合う。そういう関係性のあり方を目指したい。(「そ」が多い)


目を逸らしている部分も含めてその人なのだ。そこを壊したらその人ではなくなるのだ。たとえその人がそのことで苦しんでいたとしても。(やっぱり「そ」が多い…なんとかならんか)


チラチラちょこちょこと、その人にそれを気づかせようとスケベ心を出して会話をすればその人の内心の馬(あるいは象=無意識)に嫌われるのだ。自分をいじめる存在として。


まぁその人っていうのは私にとっては「母」なんだけど。母に似た人はたくさんいる。それこそ「ちゃんとした人」ほど母に似ている。だけに苦しい。まぁそれはまた別の話だから今回はいいんだけど。


話を防衛機制に戻すと、人は見たくないと思えば目の前の床に転がる死体すら見えない。見ることができない。いつも心に『姑獲鳥の夏』を。


まぁこれは京極夏彦による創作だが……ある種の真理を描いているんじゃないかと私は信じている。(思春期の読書体験って脳髄に刻まれるなぁ)


脳みそってやつは事実をねじ曲げる。私たちは脳のフィルターを通してしかものを見ることも聴くことも触ることもにおいを嗅ぐことも味わうこともできない。

それをつい忘れがちなんだよな。自分の脳みそが見せる世界と、隣の人やわが子が脳みそを通して見ている世界が自分と同じものだと無意識に思い込んでしまう。


傷ついた脳が見せる世界は、傷ついた場所によって見せ方が違うというのに。


私だって不惑までわくわくと(惑惑と)生きてきて、それなりにそこかしこ傷ついているけれど、それは隣の人やわが子とは場所も角度も範囲もちがうものなのだ。用心用心。


私が勇気をもらった&納得した、「虐待は連鎖しない」のブログはこちら。
https://solea.me/2020/12/28/attachment-4patterns-abuse-not-chained/


上に関連して、リンク先に繋がるこちらの記事もとても興味深く読んだ。

▪️心の親を消す。「愛しい・恋しい・寂しい」の感覚から消失まで
https://solea.me/2020/10/12/parents-disappear/

▪️寂しいとは。寂しいがわからない(めんたね界隈)
https://twitter.com/mentane/status/1563422890640691200?s=21&t=UqTwt1VsfyXKHInWMpqmcg