腹筋ローラーの動滑車実験と王の帰還

腹筋ローラーを2つ使うと、家庭で手軽に動滑車が作れるという知見を得た。

中学理科で懐かしの動滑車の実験。

朝から三男さまが腹筋ローラーを持ってきて「これでエレベーターを作りたいの!作って」とニャーニャー言い続け(たぶん動滑車のことだろう)と思ったけど「ウチにはローラーが一個しかないからできないなー」と誤魔化したらローラーを分解し始め(パーツを2つに分けようと)、根負けした私が実家に連れて行き同型の腹筋ローラーで拵えたもの。

意外だったのが、普段は孫が来ると2階に引っ込むおじじ(私の父)が熱心に動滑車の仕事量について息子にレクチャーしてくれたこと。

ずっと都内に単身赴任していて週末だけ帰ってくる父の存在は家庭内で空気だったけど、父とコミュニケーションをするには父の土俵に上がらなきゃいけなかったんだな、と思うなど。

なんとも感慨深い風景を見た。

 

(まぁ父のネグレクト・家庭放棄のおかげでワンオペ母が祟り神になり私たち三兄弟が母の呪詛に焼かれて今なおものごっつ生きづらい件についてはまた別の話だがな、とは思う。ばーかばーか、仕事ばかめ)


あとよく考えたらこれ比較のための定滑車をやってないから「半分の重さ」がわかりにくかったなと今更ながら。

そも「エレベーターが作りたい」と言った時点の三男さまの希望は動滑車ではなく定滑車だった可能性があるなと思い至った。

わりと相手の意図を汲むの間違えちゃうんだよな(飛躍しがち)
#コミュ障


追記・この件で父についてさっき(まぁ昔は家庭放棄だったよな仕事バカめ)等々書いたら今ものすごく胃に粘土の塊を押し込まれたみたいな不快感が湧いて戸惑っている。

そのことについて今書いていたら今度はこめかみがドクドク波打つのを感じた。引き続き胃は鉛のよう。ずどーんと重い吐き気。

この感情はなんなのかじんわりと味わう。

今参加している嫌われる勇気読書会が下巻の『幸せになる勇気』まで終わって、来月からはアドラーを離れて【フォーカシング】のテキストに移行するらしいのだけど、自分の身体反応から抑圧されたり言語化意識化されないままになっている「感情」を掘り下げていく実践的な内容になりそうとのこと。

自由に質問していいとのことなので、今回の父母のことを考えた時に出てくる痛みや不快感について、読書会で聞いてみようと思う。私の無意識はなにを伝えようとしているのか知りたいと思う。


いつか母からの呪いを解いて母を解放し、ずっと不在だった父とも出会いたいと思う。(王の帰還


胃液が逆流するようなこの感じ…

母のことを思うときの心臓をわし掴みにされるような胸の痛みとはまたちがう(そう思ったら今度は胸が痛くなってきた…そうコレ)

母は心筋、父は胃液。

この身体反応はなにを意味しているのか。心は私になにを伝えようとしているのか。

母はキリキリ、父の方はどんより。
なんだろうなぁ…

前にも子供時代の思い出がトラウマ的に噴出したことがあり、その時は「無理に思い出さず、キツかったらすぐやめる。また気が向いた時にあたたかいお茶やお風呂を用意して思い出して、その時の身体感覚(=感情)をじんわりと味わう。無理せず少しずつやってみること」とのアドバイスをもらっている。

今日はもう十分味わったから終わりにする。
(吐き気がなかなか去ってくれない)
あたたかいお茶を飲む。


#今日のお歌…【風花(かざはな)】風が強い日はあなたを思い出す……不器用で優しいあなたの声がするhttps://youtu.be/_1QU6mihBcs

 

わが家のギョーザレシピ

週一でギョーザが登場するわが家。なんでそんなに気軽にギョーザをするのか、そんなに簡単に作れるものなのか、レシピを知りたいと言う方がチラホラいるのでわが家のギョーザレシピをなんとなく書きます。
(適宜お好みで調節してください)

材料・豚ひき肉200g✖️3
ニラ 1袋  長ネギ 1本
(長ネギがなかったらニラ2袋でもいい)
充填式豆腐150g✖️3
(豆腐の味はかなり影響するので美味しい奴を)
ギョーザの皮 100枚
ごま油 かなり使います…大さじ5くらい?
(写真は残り少ないので2本写ってます)
チューブ式生しょうが 歯磨き粉のCMくらい
(もちろん擦ってもOK)
塩・しょうゆ
(量はお好みで)

①ひき肉に塩をふりかけ、パックのままスプーンの背で潰し混ぜる(パックのラップを取っておいて塩したあと再利用しつつ肉を殴ってもいい。汚れるのが嫌じゃなければ直接手で混ぜてもいい)

②ニラと長ネギを細かく刻む
(野菜を切るのが面倒で、なるべく簡単に刻めるように進化した結果残ったのがニラと長ネギ。究極に面倒な日はニラだけでもいい。それで十分おいしい)

③ボウルに②を移し、ごま油をヒタヒタにかける
(この時点でものすごくおいしそう。タン塩にまぶして食べたい)

④豆腐の水を軽く切り、ボウルに入れる

⑤しょうゆをお好みの量かけ、よく練り混ぜる
(塩の量にもよるのでこの辺テキトーなんだけど、あんまり味が薄くても美味しくないのでわりと入れていいと思う。イメージは200の豚1パックあたり塩ひとつまみ半強、しょうゆは豆腐1個あたり冷奴にかけるより気持ち多めくらい)

⑥肉としょうがを加えてさらによく混ぜる。(私は手が汚れるのが嫌な日は⑤の時点から写真の小さい穴あきお玉で練り混ぜる。もちろん手でもOK)

⑦のんびり包む。(片方の手の親指と人差し指で皮を挟み、人差し指で皮を送り出しながら反対の手の人差し指でパクパクと閉じる感じ)
→動画をTwitterに貼ったのでご参考までhttps://twitter.com/kirakiramamama/status/1616073282838761478?s=46&t=W3JeL_qogyUf5A3Y_s9s5w

ここで最初に肉を潰したスプーンを再利用。皮をくっつける水は豆腐の空容器に、空いた肉のパックにできたギョーザを置くのも便利。サステナブル✨(サステナブルとは?)

⑧ごま油をひいたフライパンで焼く
(くっつかないフライパンでも少しごま油をひいたほうが美味しい)

⑨最初強火で、軽く焼き色がついたら蓋に水を卵一個分くらい入れてフライパンに入れて弱目の中火で10分弱蒸し焼きにする。(このあたりは火加減による)最後蓋を開けたら少し水分を飛ばすとカリッと焼ける

⑩できあがり

※①の前に米を洗って早炊きでセットするとギョーザが焼ける頃にご飯も炊ける♪


追記・ギョーザを包むのは編み物みたいに無心になるから楽しい。「今ココ」に集中するマインドフルネス!しかもギョーザもできて一石二鳥!!(ただ呼吸は特に気にしてないな)週一のギョーザは私にとって地味にストレス発散なのかも。我ながらいい発散法だな✨(自画自賛大絶賛ー)

今日zoomしながらギョーザ包みをしたところ私は包むのがわりと早いらしい。(まぁ毎週50〜100個作ってるからなぁ)「一個あたり13秒だったよ!」と友人が言ってた。計ったんかーい🤣

ちなみに昨日の夕飯はじゃがいもを皮ごと輪切りにしたものにガーリックバターをかけてチーズとベーコンを乗っけ、オーブンで焼いたものでした。美味美味。

 

 

呪いの再生産とそれを終わりにするということ、夜行性のカエル達の生態について

朝からお腹にズーンと響く呟きが流れてきたのでシェア。
https://twitter.com/teyunta1123/status/1611682916194713600?s=46&t=pCtCAO2XYms4J4ZzXvgjrA

最初と最後を抜粋。

「年の瀬。ひらがなもかけて、おはしも上手につかえる姪っ子がうちの子へ事あるごとに

ねぇ もう ごさい なのに はずかしく ないの??

と何度も何度も声をかけてたのを思い出すといまだに内臓がひっくりかえりそうになる。この子はいままでどんなことばでひらがなを、おはしを練習してきたんやろか。」

「【じぶんらがされてきた事をこどもにしない。】言葉では簡単やけど、それはじぶんの人生の否定でもあるから、とても難しくて。やからこそ思考をとめたらあかんねんな。次の世代にしわ寄せがいかんように。呪いを残さんために。ことばを選ぶことは絶対サボったらあかんな、と改めて。書き散らしおわり。」

途中の呟きもとても考えさせられる深くて優しい言葉たちなので、気になった人はぜひリンク先でツリー全文を見てほしい。(Twitterでは繋がった一連のツイートをツリーと呼ぶ)

呪いの再生産のお話。
恥ずかしさで人を動かすこと、動かされてきた過去を、この方は自分の代で終わりにするという。

私は罪悪感を行動原理にするのを、されるのを断ち切る。
https://note.com/kirakiramamama/n/neb74971c7b13

お正月は家族について色々と考えさせられる。
これは実家に行くとみぞおちが痛くなるという話。
https://twitter.com/hokkorina2019/status/1608669511036854272?s=46&t=pCtCAO2XYms4J4ZzXvgjrA

最近読んだあらいぴよこさんの解毒漫画(毎日1解毒)もよかった。
https://twitter.com/hokkorina2019/status/1609901888937545728?s=46&t=pCtCAO2XYms4J4ZzXvgjrA

著書(『母が「女」と分かったら虐待連鎖ようやく抜けた』)もAmazonで買いました。ピッコマだと全話無料で読めるのかな?
https://piccoma.com/web/product/113899?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=KP_GSA&utm_content=Feed_Local_Publisher&gclid=Cj0KCQiAzeSdBhC4ARIsACj36uHqB50DtJaZ4IoTi4MGu9acg0YTX0qyh3CcfPmcSjXfSptrk2ED8qYaAmiaEALw_wcB&etype=episode


最近親子関係やトラウマ解毒とかの話題は、読書会のつながりの関係もあって、Twitterの読書会用サブ垢がメインになってきてる。


日記を前ほど書かなくなったのは、言語化しすぎると感情と心が離れていく、と読書会で言われたこともあって、最近は言語化しすぎず身体で感じることをメインにしているのもある。


あとは単純に時間がない。1年以上続けてきたお片付けサークルのzoom部屋が最近朝夕毎日開くようになって、なんだかんだと話しながら作業しながらワチャワチャしていたら気がつくと寝る時間になっている。

メンバーいわく、「令和の井戸端会議」とはよく言ったものだ。

私はずっと自分は世間話とか雑談が苦手だと思っていたのだけど、気が合う人達、興味の幅が同じ人たちとなら、なんぼ話しても苦痛ではないということがわかった。


そもそもみんな別に相手の反応など気にせず話したいことを話したいように話している。仮面ライダーがーとか液状化した野菜の捨て方とか、おうちに勝手に間借りする虫との闘い方とか、ただその話題に、勝手に共感できるポイントが多いのだ。

全く知らんテーマでも、その解釈とか根底に流れる価値観に心が共鳴する。わざわざ頑張って共感しなくても心の底から温泉のように自然に湧き出る共感。これは心地よい。


毎日朝夕繋がってもストレスフリー。おはよーとzoomを立ち上げ、ただいまとzoomを立ち上げる、そんな生活。もはや仮想シェアハウス。


なんせメンバーは全国から選りすぐられた凸凹さん達で、文章で気が合うと証明されている私と似たタイプの片付けに悩む女性たちばかりだから、滅多にいない希少な人たちで、今まで身近に出会うことがなかったのだな、というのも感慨深い。


ついでに言えば、女性が苦手だと思ってきたけど、単に今まで私が出会ってきた女性たちが私が苦手なタイプだっただけで、私が気を許せる、むしろ私と同じ成分でできている、と思える女性たちが思ったよりたくさんいることに驚いた。


そんな私と気が合うタイプの女性らしくない女性たちは、世のキラキラ女子の人たちに遠慮しながら、夜行性のカエルのように、深海魚のように、光の当たらないところでひっそりと生きてきたのだ。毛玉たっぷりのセーターやわりと大きな穴の空いた肌触りの良いスエットをまとい、汚部屋の中に隠れていたのだな。(比喩的表現です。たぶん)


片付けながら、夕飯を作りながら、うっかり口がなめらかに滑って普段は隠しているどんなに際どい女性らしさと対極の汚部屋話をしても、ここにはドン引きする人が誰もいないのだ。むしろ「あるある〜」「私も〜」と隙間なく返ってくる。なんという安心感。

逆にみんな「そう」なので、わざわざネタ的に露悪的に自虐的に汚部屋話を振り撒かなくてもいい。これもとても心が軽くてすばらしい。あるがままの汚部屋。(一般的な水準をはるかに超えた生活環境がそこにはある。しかし環境衛生と精神衛生なら、多少?汚部屋でもゆったり過ごした方が精神衛生が良いよなと思ってしまうの。)そう、はじめて自分と「同質」の人たちに囲まれている。うまれーてはーじめーて♪の経験。

※あ、お片付けサークルは私のような生粋の汚部屋民だけでなく、メンタルが弱って一時的にちょっとだけ汚部屋になってしまった本来ならちゃんとした方も含みます。私たちはどんな汚部屋も汚部屋として区別せず仲間として応援します。(相手が仲間にされたいかどうかはわからない)ただし、他の方の汚部屋にドン引きしてしまう繊細な方、自分より重度の汚部屋を見下したり馬鹿にしてしまう心の防衛機制の強い方は参加できません、あしからず。


マジョリティの人たちは、子どもの頃からいつもずっとこんなふうに気が合う人たちに囲まれていたのか、と思うと、そりゃー自己肯定感爆上がりで自信満々にもなるしパリピだしリア充にもなるわ、と納得した。


マイノリティの人たちも、世界を探せば自分と気が合う人というものが存在している、と気が付けるようになったのは、ほんとインターネットが普及してよかったことだと思う。


小学生の頃、どうやったら人を誘えるのか、人から誘われるのか分からなくて、誰も一緒に過ごしてくれる人がいなくて、ひとりで校庭をぐるぐる歩いて昼休みの時間を潰していた頃の私に、世界にたった1人しかいない孤独の中に泣くことも出来ずにいた私に、大丈夫だよ、と今の賑やかな私の暮らしを教えて安心させたいと思う。


#今日のお歌…【かみのみそしる】
https://youtu.be/miUyPjXRaX0

人助けとお金とはしごとそれから(時事問題)

時事問題です。ややこしい話なので今子育てでメンタル弱ってる人はスルーしてOK。

Twitterが今(私のTLだけかもしれぬが)Colabo問題であちこち燃えている。そういう支援団体に助けられたことがある元少女というある女性が寄せたこの記事に感銘を受けたのでちょっとだけ感想的なものを残しておく。

とても良い記事なので弱ってない人はぜひ一読をお勧めする。つまり、本当に助けなきゃいけない人達は「助けたい姿」をしていない、という話を当事者目線ですごく具体的で優しい表現にして賢くまとめてくれた記事だ。

▪️恩知らずな元少女がColaboを見て思うこと
https://anond.hatelabo.jp/20230102104157

Colaboという虐待や性的な被害を受けた少女を保護する団体が告発されて、芋づる式に福祉業界の闇的なものが引っ張り出されてわちゃわちゃしている。

各関連記事をあちこち読むに、さもありなん、という内容で、どちらが正義でどちらが悪とかいう単純な話ではないと感じる。

(あぁあ…ここまで書いて、朝の勢いで一気に書き上げた倍くらいあった続きの文章が消えてしまった…ちょっと離れて戻ったら無かった…えーん。なんか色々とややこしい内容を、私なりに言語化できた気がしていたので消えてしまってがっくり…だが思い出して書く。ちょっとちがうものになるかもしれぬが、仕方ない)

このColaboの話を読んだ時にまず浮かんだのが、センセーショナルな報道と色々な怒りや正義感にもみくちゃにされて、今もう忘れ去られようとしている「くるめさるく暴行事件」だ。

事件の内容はこちらの記事に詳しい。
▪️ 強度行動障害と、くるめさるく長瀬慎一さんらの虐待(?)事案に関して
https://note.com/haguredrp/n/nfc8a83d0180c


問題はあったのだろう。法に照らしてどうか、ということは然るべき第三者機関に委ねるしかないけれど、Colaboについても、告発があった時点で、組織内外での人間関係や何がしかの問題はあったのだろう。


弱者に支援の手を伸ばす、ということは、私の解釈では、自然な状態であれば押し流され淘汰されてしまうものを救おうとする、掬おうとする、川の流れみたいなものを渡って支えたり、あるいは流れそのものを変えたり曲げたりするようなことで。

一見どれだけ緩やかに見える流れでも、権力勾配や既得権益の流れのあるところを変化させるのはとても大きな力を要する。しかも絶えず力を出し続けなければ、流れの中に踏み止まることすらできないのだ。

それがどれだけ困難であるかという話で。そこには大きな流れに抗うための力?として、色々な思惑やヒロイズムや恩義やお金やまま関係のない美談や自己実現や社会へのリベンジや色々なものがグツグツとごった煮になっている。

とはいえ、手塚治虫先生がブラックジャックで言っているように、人が人を救うなんておこがましい話なのだけど、そのおこがましいことを、どうしようもない衝動に突き動かされてしてしまうところが、人間の愛しさ美しさだと私は信じているところがある。

だから私は弱い立場の人を支援をしようとする人たちを、ある一定の尊敬を持って見る。(もちろん全面的に肯定しているわけではない。)

たしかに別の色々が大きすぎて肝心の支援が疎かになってしまうようなものも中にはあるし、創始者の理念が立派でもそこにわらわらとくっついてきたものがあまり良くないもので絡め取られて理念が埋まってしまったものもある、あとはどうしようもない現実に足を掬われて方向がズレてしまったもの、弱者の痛みを感じとる力はあっても実務能力に欠けるもの、ある面では優れていてもある面で大きな問題を抱えているものなど、諸々の事情があって、支援団体には本当に色々ある。

とはいえ、ここで脳味噌をひねってぐだぐだ書いているだけの私と違って、彼らは団体をつくりあるいは参加し行動したのだ。その一歩に敬意を払う。

(もちろん問題は長所によって相殺されないし、明らかな問題は正されるべきだろうと思う。大事なことなのでもう一度言う、問題は長所によって相殺されないし、明らかな問題は正されるべきだろう。)

Colabo問題にせよ、くるめさるくの事案にせよ、問題が明るみに出て、正義の人々が様々な立場から問題を糾弾するとき、(たしかに後者の事案に関して、さまざまな報道記事を読むに痛ましい内容で、正義の人たちが糾弾するのもわかる内容ではあった。被害者の方々の心身の回復を心からお祈りする。)救済される弱者にいちばんしわ寄せが行くことがある。

くるめさるくの時には、強度行動障害で他の施設から断られてようやくたどり着いた利用者の方々が行き先をなくして困ってしまった。(くるめさるくはそういう重度の問題を抱える人を積極的に受け入れ支援していた。)今回も、Colaboの問題によって団体や業界全体に不信感を持ってしまった女の子達が支援を忌避して行き場をなくしてしまわないか心配している。

その支援団体が解体されたり休業したり信頼を失って機能が損なわれたりする場合(センシティブな問題を扱う団体が信頼を失うということはわりと運営上致命的なことだ)は、受け皿を用意してほしい。そこの団体に一点集中していた色々な歪みを、支える仕組みがほしい。

くるめさるくの時には、いくつかの団体や学会が強度行動障害について支援に乗り出そうという姿勢を示してくれた。とても困難なケースが多くある。同じく強度行動障害の子を持つ親として、支援が継続されていくことを願う。

何のための、誰のための正義なのか。問題は正されるべきだけど、報道も、マスメディアも、個人の感想も、困窮する弱者の梯子(はしご)を外して終わりにしてほしくはない。そこを切に願う。

1回目に書いて消えた文章はもっと思考の流れがスムーズで、こんなにくどくどしくなく自然とサラッとまとまった気がするけど(逃した魚はデカイ)、まぁ仕方ない。概ねこんなことを書いた気がする。満足ではないけれど、いったんここで筆を置く。

 

追記・冒頭リンク先で元少女が見ていると泣けてくると書いていたNICIの犬とはこれか。たしかにかわいい。
https://www.plazastyle.com/ec/pro/disp/1/P01KCN0187

思春期と向き合う(対談動画の紹介)

【2022年12月31日(土)まで限定無料公開中】『君は君の人生の主役になれ』刊行記念トークイベント・20221215 https://youtube.com/watch?v=uXXC_GiP440&feature=shares 明日まで無料です。とても良かったので未視聴の方、ぜひどうぞ。思春期のわが子と向き合う視点を教わった気がした。 (思春期の頃から引きずっていた、自分の中の親との向き合い方についても…そうか、親の価値観の押し付けや決めつけで守ってもらった面もたしかにたくさんあるなぁと。) 子どもに自分の価値観を押し付けちゃいけないって思ってたけど、それでなんでも子どもに決めさせるのも、ちょっとちがうのかもなぁと。親としての意見は出していい。ただそれを採用するかどうかは子どもに委ねる、という辺りが折り合いなのかな。 今日は草取りしながら聴いたので、あとでもうちょっと集中して聴き直す。(ただ2時間もあるのよね…😓) 筆者の鳥羽和久さんの鋭い視点も、聞き役のタナカさんの絶妙な合いの手も、どちらも最高でした。鳥羽さんの他の著作もぜひ読みたいと思った。

既読無視されてたけど会ったら大丈夫だった話

年末のコンサートオファーを、親戚の来日を優先してお断りしたところ、その旨を伝えるLINEが既読無視になっていたお友達のおじいちゃん。(お友達であるおじいちゃん?)


(国籍は向こうを選んだから帰国というか来日だよな、よく考えたら次男坊の彼は伯父が移住してから産まれたから生まれも向こうだわ)


昨日はそのおじいちゃんが主催する月一の歌声喫茶の伴奏隊の手伝いで、いつものイタリアンレストランへ向かう日で。


まぁたぶんうっかり返事し忘れただけだろうとは思うけど、ぶつかりおじさんおよび易怒性高齢男性の話をTwitterでさんざん読んだばかりにちょっと「おこなの…?」と心配もよぎりつつ…(認知症的な高齢者の易怒性については前から知ってはいたけれど)


おかげで珍しく事前に殊勝にうた本の曲を練習していった(←いつもやれ)…しかも練習しておいたうちの一曲(異邦人)がドンピシャでリクエストされてちゃんと弾けてよかったりもした…

(まぁうた本全部で500曲以上あるから全部練習するのは無理だけど、コード進行が速くて目まぐるしくて難しい曲とか、あとコードがややこしすぎて移調した方がいい曲だけ)


昔だったら、この既読無視にものすごく気を揉んで、もっと取り乱してパニックになっていたかもしれない。


まぁ普段練習不足だから伴奏の練習をするのはいいとして、今回はそれ以上に変におじいちゃんに会うのが怖くなったりはしなかった。「きっと大丈夫」と思う、相手への基本的信頼感があった。


相手が不機嫌になっていると想像することは、相手を見くびっていることになるんだな、と改めて。今目の前にいない相手の上機嫌をいつも想像する。単純だけど、相手を信頼するってそういうことなんだろう、と思うようになった。


嫌われる勇気読書会でアドラー2冊分たっぷり学んだからかもしれないけど、共同体感覚(自分は相手の味方であり、相手もまた自分の味方であると無条件に信頼する感覚)が前より身についてきた気がする。


なにか予期せぬトラブルがあっても、「きっと忙しくて返信を忘れちゃっただけだな」と基本的に相手を信頼する。自分の周りに悪意の可能性をわざわざ読み取らない。


悪意はないものとする…中学理科の摩擦と空気抵抗のない世界みたい…するとそこはそのまま悪意のない世界になる。ふふ、単純。でもそこはとても居心地がいい。アドラーおじさんが作りたかった、戦争のない理想郷。


もちろん人を怒らせたら、自分の領分について過失や不足があれば謝る。謝っても許してもらえないかもしれない。でもそこは相手に任せる。課題の分離。

 

怒るのも、許さないのも、相手の自由。自分以外の部分はすべて相手に任せっきりにする。自分にできることだけに集中する。とても世界がクリアになる。余計な気を揉まなくなるから、肩の荷が軽い。

あと、なんでそんなに怒ってるのか、相手を観察する、相手の状況や後ろの物語ををよく理解しようとする、可能であれば質問する。

以前だったら、「怒ってる、こわい」とフリーズして思考停止していたけど、相手を知ろうとする方向に脳みそをシフトチェンジする。実際なににどのように怒るかというのは、その人を知るチャンスでもある。その人がいったいなにを大切にしているのか。またとないチャンスだと考える。

そう思うと、前はこわくて不快で仕方なかった「不機嫌丸出しの人」も、前ほど不快ではなくなった。息子が赤ちゃんのときに読んだ『赤ちゃんの言葉がわかる魔法の育児書』のように、その大きな赤ちゃんの身体表現を読み取って辞書化していく作業だと思えばいい。不機嫌の尻拭いを相手に求める。それは言ってみれば赤ちゃんのしぐさだ。

(ああー、これは顔を横に向けてるからお腹が空いてるんだな)とか(足を上にあげてるからガスが溜まってるんだな)とかみたいに、(昨日サッカーで夜遅くまで起きてたから寝不足なんだな)とか(だんだん不機嫌になってるから朝ごはん食べそびれて空腹なのかもしれないな)とか思うようになった。


ましてメールやLINEでは相手の情報はほとんどない。返事をしない理由なんてわかるわけがない。相手とのわずかな情報(オファーを断ったこと)に理由の全部を集中させることはやめる。既読無視するってことは、怒ってるんじゃないかな?と心配するのをやめる。


あともし怒っていたとしても、それは相手の課題で。その怒りはその相手がなんとかするものだから、私は謝る、とか繰り返さない、とか、動作でしか返せない。


もし相手が私に「罪悪感を持つこと」を求めるとしたら、それは私の味方ではない人なので、近づかずにそっとしておく。私が罪悪感を持つことで気持ちが晴れる人と親しいお付き合いをしてもいいことなんてない。


罪悪感を持つことを他者に求める、というのはけっこうすごいことなんじゃないかと思う。反省しろと要求する。自分の「不愉快」を相手にも「感じる」ように求める。自分と相手に感情を共有するように求める。そこには自他の境界がない。


もちろん人はメンタライズのモードが常に固定されているわけではないから、疲れているとき、体調が悪いとき、睡眠不足のとき、悲しいとき、メンタライズ力が一時的に落ちて、「私の機嫌をとってくれ」と近しい人に赤ちゃんのしぐさが出てしまうことはある。


それは共同の課題として、ケアしてあげることはできる。疲れているんだね、お腹も減ってるんじゃない?よしよし、このチョコバーを食べなさい、と。


ただ、いつも常日頃「私の機嫌を取るのはあなたの役割」とばかりに自分の感情のケア(尻拭い)を他者に求めてくる相手は、完全にこちらをゴミ箱扱いしているので、人間扱いをお願いするか、お付き合いをお断りしていいと思う。


で、冒頭の話。結果として、やはりおじいちゃんは会えばいつも通りで。にこやかにやりとりできて、普通に歌声喫茶の伴奏も滞りなくできた。よかった。


想像上のおじいちゃんを実物より怖いものにしない。他者を信頼する。目の前にいない相手の上機嫌をいつも想像する。想像上の他者は、実物よりほんの少し機嫌のいい人にしておく。それが私の共同体感覚。


ただまぁ今から少しだけ会議の準備はしておこうかな。これはまぁ、仕事のタスクとして。


#今日のお歌… 【ワットアワンダフルワールド(邦訳私家版)】そう、このクソみたいで素晴らしき世界。(某コーヒーのCMみたいだなww)
youtu.be/9v0yUf-VgFo

嫉妬心を向けられるのは優れているからではなく弱いから

この記事。朝からものすごくものすごく納得した。カウンセラーの寝子さんという方の記事、言語化がうまくて、毎回いちいち納得させられる。

▪️「嫉妬心」が教えてくれることとは?
https://psychologist-neco.com/jealousy/


言語化すごい!と思った部分を、長いけどちょっと引用。


「「ズルイ」というような「怒り」「嫉妬」がときに根深い問題を生じるのは、

「生じさせた本来の対象ではなく“弱い者へ”向けられる」からです。

 

けれども、嫉妬を感じているご本人が

 

「この気持ちの原因は強者に対して我慢しているからであり、その怒りを、向けても大丈夫な弱い相手に向けている」

 

と気付いていることは滅多にありません。

 

なので、その攻撃性は「正当な主張」として強められてしまっていることがあります。」

 


ああああああああ!コレ!そう!これ!!


私は子どもの頃色んな人から攻撃されていた、特に女子の集団から。おかげで今も女子はこわい。集団はこわい。


それは、凸凹ゆえに空気が読めないとか、人を不快にさせるとか、そういうことも含むけど、まずなにより私が集団から孤立していて「弱い」存在だったからだ、と今ならわかる。

野生の世界で、群れる動物の集団では、群れから離れた動物は、即狩られる対象なので。群れに属さない私は格好の標的だったのだろう。


弱いからやられた。嫌う側が生活の中で溜め込んだ、色んな抑圧をぶつけるためのサンドバッグとして選ばれた。ただそれだけだった。

 

殴りやすい形をしているから殴られる。

 

女子の集団で爪弾きにされ、「ムカつくわー」とすれ違い様に言われる、目線をひたと当てられながら目の前でヒソヒソと話される。これは一体なんなんだろうな、と。


「嫉妬されてるんだよ」と仲の良い人、私を攻撃しない人たちはサラリと言った。実際何度も言われた。けど。


なんか微妙にちがうな、とずっと感じてきた。そんなにいいもんじゃないぞ、と。少なくともあの目線には羨ましがっている感じは微塵もなかった。


「攻撃性の高い人」は、強い人には逆らわない。


私の観測した範囲では、攻撃性の高い人は、なぜか防御力が低いことが多く、彼らは自分が攻撃されることを過度に恐れるから。


自分より強い人にはまず噛み付かない。それどころか、自分に害をなしている相手をわざわざ過度に崇拝したりする。(両価性愛着かもしれない)

透けて見える(ぐぬぬぬぬ)っていう本心を隠しながら、崇拝して敬愛しているような顔をオモテではしていて、本人もそうだと思い込んでいる。アレは実にふしぎ。でも稀によく見る。


理由はシンプルだ。強いから敬愛する、弱いから攻撃する。


ネコが獲物を弄ぶのと同じだと思う。別にネコはネズミを羨ましがったりしない。


ぶつかりおじさんの話がTwitterでバズっていたけど、それと近いものだったろうと思う。


彼らはあんまり派手な服じゃなくて地味で小さくて弱そうな女の人を狙ってぶつかるらしい。


たしかに卑怯だなと思う。あと、併せて易怒性の高い高齢男性全般への怒りが散見された。


ただまぁ易怒性のお年寄りを正義パワーで全否定するのもちがうかな、とは思う。


バズった記事を見て、「グリーンマイル」で脳腫瘍のために下ネタを連発し罵倒を繰り返すようになってしまった最愛の奥様の腫瘍を取り除いてもらう施設長の話を思い出した。

腫瘍を取り除いた上品な奥様。

どんなに若い頃人格者でも社会的に成功しても、脳の変質がその人の人生を奪う。


もちろんぶつかりおじさんを擁護しているわけではない。

ただ、「高齢男性全般」への忌避感に繋げるのはいささか乱暴だと思うし、それは漆原教授のことが憎いカラスだよと(『動物のお医者さん』12巻参照)思うなど。

(まぁ、私も【女子の集団および女性らしさそのもの】という漆原教授を憎んでいるカラスを心に飼っているので人様のことは言えないのだがw)


動物のお医者さんのどこでどの話があったのかを参照するときは、このリンク先が便利だ…(目次作成ありがとうございます。)https://twitter.com/buji__kaeru/status/1294870233363001344?s=46&t=j-gaUsa18IjfSFNMT_RTug


冒頭の寝子さんの記事に戻るけど、無意識の防衛機制によって、攻撃者は正当化された別の怒りを【弱い人】に向ける。弱い人に向けられた怒りの何割かは不当に捻じ曲げられて理由を捏造された怒りなのだと感じる。


向けられたときに「理不尽だな」と感じる怒りはだいたいコレなんだろうと、今ならわかる。


強くなろう、と改めて思った。


せめて自分を大切にできるくらいには強く、でき得るなら、自分の大切な人をも守れるくらいには強く。


▪️寝子さんの記事備忘録その他
・成功体験がこわい、成功恐怖症
https://psychologist-neco.com/fear-of-success/

・自己否定は当然?認知的不協和
https://psychologist-neco.com/cognitive-dissonance/


#今日のお歌…雨の日のうた
https://youtu.be/IhiWOtkdXTM
じっさい関係ないのよ、相手が怒ろうが泣こうが、それはみんな窓の外の雨。私にできるのは虹を願うことだけ