「ピッタくない」感覚と、言葉になる前段階のこだわり

このなんさんの一連のツイート(ツリー)はとても考えさせられた。


https://twitter.com/nankuru28/status/1554935206909743104?s=21&t=DndaxLehy6ttvS0Eo65Ymg


言葉がまだうまく使えない段階で、支援者にひたすら言葉を言わせて「ちがう!」と言い続けていた子?がいたらしい。



「大人が、あーかな?こーかな?

あれこれ言っても。


「違う!」しか、言えないのよ。

感覚的に「ピッタリ」じゃないから。


「ちょっと近い」「これとこれなら、こっちがいい」とか、壮絶に難しいのよ。


「ピッタリ」と「ぴったくない」と世界が二択だから。」



なんさんの解釈だと、


「曖昧さを嫌う」≒「ぴったくないへの不快感」


ということらしい。

いつもながら子どもの「困った」への目線と掬い取る感覚がすごい。



「世界は大体、ぴったくないから。

いつも、困ってて、いつもイライラしてて。」



これの前段階がいわゆる「こだわり」と呼ばれるものらしい。



「たとえば、折り紙は絶対青!で、他の子が青使っちゃったから今日は緑ねとか、無理なわけ。

「ぴったくない!」から。強烈に不快なわけ。

でも私は「とっても重要な段階」だと思っていて。」



なるほどなぁ。



まずはこの「ピッタくない!」への強烈な不快感からくる謎のこだわりとマイブームにじっくり向き合ってもらうことで、徐々にピッタくない世界と折り合いをつけていくタイプの子がいるのかと。


(これをすぐ自閉傾向のある子は、とか強いこだわりのある子は、とカテゴライズして雑に分類しようとするのは無粋なのだろうなと。カテゴライズするとその子自身ではなく「そういう子」というフィルターをかけてみることになっちゃうものなぁ。便利ではあるんだけども、そこから外れるものに対しては無意識に枝切りをするから余計に)



「ピッタい」と「ピッタくない」の2部構成だった世界から、「この中なら、これがいい!」と選択肢の中から自分に【近いもの】を掴めるようになるのは、とても大変な道のりなんだなと。


これを読みながら、昔ネズミくんの療育で散々やった「型はめ」の課題を思い出した。


型はめは「ピッタい」「ピッタくない」しか受け付けない世界。


あの白か黒かの世界から、粘土のように形を変えていくというのは相当な変化だ。


果たしてその時形を変えるのは、はめるピースの方なのか、型の方なのか…



あとツリー途中のここ、すごく心に響いた。



「このタイプは話せるようになると、好んで難解な方の言葉を選ぶことが多い傾向があるようで。


それは難解な言葉を選んでいると言うより「ぴったり」が感じられる言葉を選ぼうとするとそうなってしまうから、と私は感じていたよ。


小難しい言葉使いやがってされて、苦労するよね。

あれも大変そうだ。」



『ピッタくないから難解な言葉を使いがち』問題、私も心当たりがめちゃくちゃある🎯


私は子ども時代一人でいることが多くて話し言葉をほとんど使わずに大きくなって読書で言葉を獲得したので、書き言葉の方が「ピッタくなる」傾向がある。


それもまた難解な言葉遣いに拍車をかけているのだろうなと。私もあの頃非言語の存在と有効性を知っていればねぇ。。。



本はおろか漫画すらほとんど読まずに育った純粋培養話し言葉オンリーの旦那氏からよく「そんな言葉はじめて聞いた」と言われる。


例えば私が咄嗟に使う「是が非でも」とか「やにわに」とかも「なんそれ?」と言われる🤣耳馴染みがないらしい。


(もっと象徴的なのがあった気がするが今出てこない。思い出したら追加しておく)


旦那に20年ほど耕してもらってカチカチだった私の言葉遣いもずいぶん空気を含んで柔らかくなったと思う。


旦那氏の話し言葉は、語彙こそ少ないかもしれないが(すまん)、目線や間の取り方がとても豊かだし、最強の例え話を持ってくる才能がものすごい。


それはまるで三原色を知り尽くした人が少ない絵の具で豊かな色合いを出すのに似ている。



その表現力を視覚的に表すとちょうどこんな感じ。(これはたまたまTwitterで流れてきたたった3色+白?の絵の具で瞬時に実物そっくりの色を作れる人の動画。)


https://twitter.com/thefigen/status/1554799920867147776?s=21&t=DndaxLehy6ttvS0Eo65Ymg



旦那氏の言葉はこんな感じ。少ない絵の具からその場にピッタリ合ったニュアンスをサッと作れる。めっちゃすごい。


旦那氏を見ていると「ピッタい」感じを出すのに必ずしも百色の絵の具は要らないんだろうなと思う。


むしろ沢山の絵の具(語彙)は、色(言葉)の方に現実を当て嵌めようとしたり、探すのに時間がかかったりしてかえって枷になることもあるよなと。


語彙が豊かなこと自体は悪いことじゃないけど、それは「テンポが命」の話し言葉ではよほど熟練の技がいるので、私は今後は語彙はある程度封印して、シンプルな言葉をちょうどいいタイミングで発する話し言葉に習熟したいと思っている。(希望)


芸能人は歯が命、話し言葉はテンポが命。


これはお笑い好きで松本人志教信者の旦那氏が繰り返し言っている格言?で。間が悪いとどんなに面白いネタでも面白くないのだとか。逆に言えば、どんなにありふれた話題でも、テンポが良ければ魅力的、ということでもある。


そして小学生の頃、長縄に入るタイミングを間違えてメガネを飛ばして壊したことがある私は、致命的に間が悪いのである。(南無三)