【埴生(はにゅう)の宿と自他境界とメンタライゼーション(あさイチもちょっと)】

【埴生(はにゅう)の宿と自他境界とメンタライゼーション(あさイチもちょっと)】
※今日は長いよ!

新作【彼岸花】のBメロ(きいろに空〜)が何かに似てるなぁと思ったら、埴生の宿の冒頭だった。

(ついでに我ながら全体のイメージは加山雄三の曲っぽいな、と思った。加山雄三がもし依頼されて青雲のCMを作ったら、みたいな)

大好きな歌には、無意識に影響されてしまうものだなぁと改めて。(不世出の傑物でもないのだし新しい旋律など自分の内からそうそう出てこない。)この旋律は私の脳みその中に大切に保管されていたのだろう。

ついでなので久しぶりに埴生の宿を聴いてみた。改めて素敵な良い歌だなぁと。

▪️英語歌詞つき
https://youtu.be/KnVt75BV2NA

世代的に『火垂るの墓』の挿入歌のイメージが強くて(ビルマの竪琴は未視聴)、プツプツと切れる蓄音器から流れて欲しいような感覚がある。

火垂るの墓の歌い手さんは誰なのかな。

もしいつか叶うなら、英語歌詞に近い音の和訳歌詞が作りたいなと思ったりする。

原曲はオペラの劇中歌なのね。歌唱法になんとも言えないまろやかな響きがある。

Home! Sweet Home!(一番のみ抜粋)

'Mid pleasures and palaces though we may roam,
Be it ever so humble, there's no place like home.
A charm from the skies seems to hallow us there,
Which, seek thro' the world, is ne'er met with elsewhere.

Home, home, sweet, sweet home,
There's no place like home,
There's no place like home.

そして日本語版唱歌(作詞:里見義ただし)

埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春のそら
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ たのしとも たのもしや

ふみよむ窓も わが窓
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半(よわ)
月はあるじ むしは友
おお わが窓よ
たのしとも たのもしや

※「埴生(はにゅう)」とは、「粘土性の土の雅語的表現」で、「埴生の宿」とは「土で塗った、みすぼらしい家」のこと。
https://www.worldfolksong.com/sp/songbook/england/sweet-home.html

#行動ログとメモ…昨日メンタライゼーション読書会、今日zoomお片付けサークル、明日午前PTA奉仕作業、午後zoom打ち合わせ

今日は仕事が定休なので午前中は夫とコメダ珈琲持ち帰り限定の味噌カツサンドと手羽先を手土産に義実家の舅を訪問(姑は仕事)。

最近夫の叔父が亡くなったので、なんだか親戚(特にいつのまにか歳を重ねてきた親世代)を大事にしなきゃな、という気持ち月間なのである。手羽先うまい。

BSのメジャーリーグ放送を一緒に見ながら舅の大谷翔平愛を存分に聞かせてもらった。かわゆす。あと手羽先うまい。(味噌カツサンドは私にはちょっと塩分が濃厚だった)

午後は毎週参加しているzoomのお片付けサークル。

やりたくない事にはとことん身体が動かない私が、なぜか今日はすごく身体が動く日で。

昨夜の読書会でお悩み相談をさせてもらい、色々と心が軽くなったのも影響しているかもしれない。私はとても単純なつくりなので。

ただまぁ、こんな風にやたらとスイスイ身体が動くのもちょっとばかり不安になる。

これは、過去に何度か経験した「めっちゃ調子いい♪」と思って好き放題動き回ると、ある地点で急に電池が切れてぱったり動けなくなる、どころかその後しばらく使い物にならなくなる、のパターンではないかしら…と。

活動エネルギーを見境なく使い切って後でドーンと停滞期…ひい。こわい!!

まぁそうなったらそうなったでまたエネルギーが貯まるまでじっと休めばいいんだけど。

お片付けサークルでも言ったけど、われわれ凸凹人は「3歩進んで5歩さがる」を基本仕様だと思っておけば間違いない🤣(そして後ずさりしながら思わぬ方向に運ばれていく)

過活動や過集中のあとにやってくる停滞期も超停滞期も折り込み済みで、「そんなもんだ」といちいち落ち込まないでやっていくしかないのである。

さて、調子が良い時ほど慎重に意識してパワーセーブしながらそろりそろりと進んでいく構え。

とはいえ、活動期のエネルギーはすごいもんで、いつもならリビングやダイニングを片付けて掃除機かけて終わり、となるお片付けサークルの1時間半で、全員分の布団を干して、家中の掃除機をかけて、さらにサークル後に取り込んで、というところまでできた。

(午後はベランダに西日がバンバン差すので、ほんの2時間ほどの干し時間で結構ふんわりするものだ)

さて、こんなにやる気がみなぎったやる気スイッチはどこで入ったのかな、と思うと、心当たりは最近立て続けに2曲ほど新曲ができている(替え歌も合わせたらわずか1ヶ月で3曲というハイペースの楽曲制作だ)ことかな。

新曲ができて、その出来栄えがうれしくてやる気スイッチが入るのか、無意識領域でやる気スイッチが入ったから新曲ができるのか、そのあたりは鶏と卵の関係でよくわからない。

ただまぁきっかけなのか成果なのかはわからないけど、新曲ができたということは活動期に入ったサインということで間違いない。

昔なら、よーし楽しいことをしよう、とバンバン外に出て新しいことに挑戦してエネルギーを使い果たしていたものだけど、最近は、この余剰エネルギーをなんとか家の片付けに回すようにシフトしている。

活動期に楽しいことをやってしまうと、ますますハイになって過活動に拍車がかかり、その結果超停滞期を招くので(私の場合)、活動期をいかにそれ以上ハイにならないようにローギアに入れるか、というのがミソなのだと、自分という癖の強い車(公道を暴走するF1カー的な)の乗りこなし方が最近わかってきた。

だから活動期は、あえてできるだけ「テンションが下がること」をやった方がいい。これは経験から。

それがまぁ私の場合はお片付けと掃除なんである。

活動期はほっといても脳から幸せホルモンがドバドバ出るので、片付けもいつもみたいな絶望感を伴わずに「ここを工夫してみよう」と前向きに取り組めるのでわりといい感じ。

まぁ外に出てあれこれ取らぬ狸を妄想しながら買い物するとか(いつもの倍速で散らかる方向性)よりはよっぽど自分と家族と財布のためによい活動期の過ごし方と言える。

活動期はなんといっても、朝起きたらもう幸せで、お昼を食べたら無意味にワクワクして、夜寝る時はお花畑な妄想が捗って眠りにくい、みたいな状態なので(個人の感想です)、いかにこのデタラメに分泌される報酬系ホルモンを制限するか、みたいな話になってくる。

とりあえず夜眠れなくなったら予後が悪いので、しばらくは睡眠時間だけは気にしておく。

ところで今日はお片付けの間じゅう埴生の宿が脳内BGMで流れて掃除が捗った。

先週のお片付け中の脳内BGMは【片付けられないの歌(飾りじゃないのよ涙は・替え歌)】のハイテンションモードだったけど、今回の埴生の宿はマイルドでいい感じ。

歌っていて癒される。

それでいて「埴生の宿=粗末なみすぼらしい家」という言葉のイメージが、汚部屋で散らかった我が家にピッタリで、

「玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春(秋)のそら」

であり

「瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや (中略) むしは友」

なんてホント、目の前のシチュエーションにピッタリすぎる。完璧なBGM。こりゃーノリノリにもなるて。

(虫は敵だけどな)

コバエ、カツオブシムシ、コクゾウムシ…etc.ちっちゃいフレンズ(敵だがあえてフレンズと呼んで残念さを軽減)ホント駆逐したい。(不思議とここ数年Gさんは見ていない…いつ見てもおかしくないと覚悟はしているのだが)

まぁでも正直ある程度は招かざる隣人達(昆虫系)にもう慣れてしまったところもある。

「あ、今日はここにいらっしゃる、コンニチハー」(そしてミニほうきでチリトリにサッと拾ってトイレに流す)みたいな(^^;;(悲しい現実)

まぁまぁ、片付けが大の苦手な私に任せきりで誰も本気で片付けないんだからしゃーない。(私自身も含めて)

多少空いてる場所に間借りする招かざる隣人がいたとて私だけの咎ではあるまい。(我が家のルールでは)

こんな風に自責も他責も和らいで、自分に対するメンタライゼーションが進んだのも、もう一年ほど参加してる各種読書会の効能かもしれぬ。

「嫌われる勇気」の読書会(今は続巻の「幸せになる勇気」に進んでいる)ではアドラー心理学の基礎である自分と周りの課題を切り離す感覚や自分や周りを信じる気持ち(共同体感覚)を、「メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服」の読書会では、サブタイトル通り、自分や周りの人の心を見渡す視点と、自他境界の感覚をはぐくむアプローチについて学んでいる。

どっちも別の角度からの心理的アプローチだけど、それぞれが両輪のように生活のあらゆる場面で役立っている。アドラーが原則で、メンタライゼーションが変動的な自分にフィットする法則みたいな。ありがたい。

ところで自他境界といえば今朝たまたま見たあさイチが「毒親・親子関係特集」で。

Twitterにも行き詰まった親子関係の感想やら体験やらがバンバン流れてきて感慨深かった。親子の自他境界とメンタライゼーションを育むのってめっちゃむずいよね、と。

親子ってやっぱ近すぎるからな。近すぎてしんどかったら親だろうと友人だろうと離れるのはだいじ。

昨日の読書会でおすすめされた参考文献を忘れないうちにメモしておこう。

・甘えの構造
・マインドフルネスとスキーマ療法(Book 2が特に良い)

あとは読書会の裏メニューとして、小グループに別れたディスカッションの時に不定期開催される日々のお悩み相談会とか、そこに講師が的確なアドバイスをくれる集団カウンセリングのような側面もあるのでその辺りの恩恵もありがたくいただいている。

(性格や特性的な相性もあるとは思うけど、普通にカウンセリングを受けるより私には合っていると思う。価格的にも内容的にも。私の場合、一対一だと、治療者に気を遣って優等生の患者を演じる「ごっこモード」にすぐ陥ってしまいそうなので…集団の方が普段の自分を保ちやすい気がする)

まぁ家にしろ自分自身にしろ、どんなに粗末でみすぼらしい埴生の宿だとしても、自分に割り当てられたものを活かして磨いてやっていくしかないのである。ダメならダメで愛おしい、と思えればホントはね。まぁむずかしいけど。でも最近タテマエじゃなくわりと本心でできてきた気がするのよな。ゆっくり、じんわりと。

しかしそれにつけても埴生の宿、名曲だな、と改めて。

さて、夕飯やろう。(活動期は自炊も捗る)

#今日のお歌…【埴生の宿・英語版歌詞付き】
https://youtu.be/KnVt75BV2NA